新生WIRED編集長と語るテクノロジーの未来[前編] テクノロジーは人間をどんな未来に連れていくか

新生WIRED編集長と語るテクノロジーの未来[前編] テクノロジーは人間をどんな未来に連れていくか

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以前は海外のデジタルカルチャーやテクノロジーの本に関わり、現在はWIREDの編集長を務める松島倫明(まつしまみちあき)さん。
昨年末に雑誌『WIRED』をリブートした松島さんに、元月刊I/O編集長である藤井創(ふじいそう)が、日に日に発達していくテクノロジーについて、現代から未来まで、いろいろ話をうかがいました。

前半では、社会でのテクノロジーのあり方からテクノロジーが目指すべき未来について話します。

社会を編みなおすテクノロジー

藤井創(以降、藤井)まずは雑誌『WIRED』のリブート、おめでとうございます。その話をとても聞きたいのですが、まずはNHK出版時に松島さんが手掛けた『〈インターネット〉の次に来るもの:未来を決める12の法則』や『SHARE』『FREE』について話をしてもいいですか?〈共有〉時代の到来を予感させたレイチェル・ボッツマンの『SHARE』や、〈無料〉経済が広がると唱えたクリス・アンダーソンの『FREE』は僕も読んだのですが、本当にグサッとくるものが多いです。とくに『SHARE』を読んだときは、まさに将来こうなるだろうと思いました。

松島倫明(以降、松島) あの本は発売が早すぎたと思っています(笑)。当時はシェアリングエコノミーといっても一部の読者しかピンとこなかったと思いますし。

藤井 でも現在では本にも載っていたとおり、実際に自動車のシェアも普及しはじめていますよね。

松島 今では、大手メディアもシェアリングエコノミーを取り上げていて隔世の感があります。ケヴィン・ケリーの著書『〈インターネット〉の次に来るもの』で紹介している12の法則のひとつにもシェアリングが入っていますよね。デジタルテクノロジーに精通する彼にっても、シェアは不可避なものだったわけです。

ただ現代は、デジタルテクノロジーの良さが十全に発揮されているわけではないと思います。今は大きなプラットフォームが胴元としてある中でシェアリングエコノミーが普及している。そういう意味でまだPeer to Peerの経済が起こっていないので、もう一段階これからあるのかな、と。将来的には、それがもしかしたらブロックチェーンのようなものの中で起るのかもしれないですけど。

藤井 ブロックチェーンのようなものの話をすると、あれは性善説ではなく性悪説の基に成り立っているという話をこの前聞いたんです。でもそうなると、Peer to Peerでありながら、そこには信頼でつながるどころか、信頼しないことでつながるということになりますよね。FREEやSHAREの考え方って、ある意味人間同士のコミュニティというかコネクションを信頼することで成り立つところがあるので、この考え方は真逆のような気もするのです。

松島 そういった意味でいうと、FREEやSHAREというのは、経済的合理性の中でバラバラにされた人間社会のつながりやコミュニティをテクノロジーによって編みなおす思想がそこにはあったと思うんですよ。1960年代にあったカウンターカルチャーにも、そういったコミュニティの思想が根底にあったわけですよね。

FREEやSHAREというのは、ある意味でその再チャレンジなわけです。デジタルテクノロジーがその理想を実現するためにサポートするというわけです。けれでも、結局は無料経済が生まれてシェアリングエコノミーも生まれたけど、それと引き換えに、プラットフォーム企業が僕らの個人データを使って利潤を上げたり、ギグ・エコノミーの中で労働者が余計に弱い立場に追い込まれたり、ということも起こっています。

コミュニティというのは、つながることによってお互いにある種の責任が生まれて、そこでは貨幣価値ではなくて、社会的信用や信頼、思いやりみたいな社会関係資本がやり取りされる場です。でも、そこにブロックチェーンのようなネットワークが組み込まれ、情報だけでやり取りするような社会になると、そこでは逆に、誰も信用できないトラストレス(信用不要)な社会になってしまう可能性もあるのではないか、と思うのです。

テクノロジーとの正しい付き合い方

藤井 インターネットが日本に普及しはじめたときは、地方格差がなくなり人は平等になるといわれていました。しかし今は、情報格差が広がる一方ですよね。

松島 テクノロジーは一般的に、物事の性質を増幅させていく力をもっていると思います。ポジティブな方向にもネガティブな方向にも拡張できますが、あくまでテクノロジーはその性質なり感覚を増幅させる機械。だから問題の根源は、テクノロジーが増幅する事柄そのものにあるのだと思っています。

藤井 多くの人はテクノロジーを主体なのものと捉えがちですが、松島さんにとっては、テクノロジーそのものが何かをしてくれるわけではない、ということなのでしょうか?

松島 そうですね。ケヴィン・ケリーの著書『テクニウム』にも書いてあるのですが、テクノロジーも人間と同じような生態系の中で進化しています。どういうことかというと、生物は周りの環境の中で進化するわけですが、一方テクノロジーは、人間のインタラクションという環境の中で進化するわけです。進化にもともと正解はなく、たまたま最適化だったものが残っていくだけなので、テクノロジーについては、人間はそれにどう向き合うかが大切です。

テクノロジーにはテクノロジーの進化の道筋があり、それを止めることはできません。かといって今さら、テクノロジーのない時代にも戻れない。そもそもそんな人間の傲慢なご都合主義で、止められるはずがありません。僕らが望むべきは、テクノロジーをどう制御するかでなく、テクノロジーが何を望んでいるかについて真摯に耳を傾けることです。

僕たち人間にとって適切なテクノロジーとはヒューマンスケールで自立共生していくものであり、そこに人間がどう向き合うかが大切で、その文脈や意味を考えることが『WIRED』の役目でもあると思います。

藤井 この文脈で話をしていると、よくポストヒューマンの話題が出てきて、その中でとくにAIが人間の仕事を奪うという話が出てくるじゃないですか。僕は以前雑誌の編集長をしていたときに、こういったネガティブな内容はやらないと決めていたんですね。そんな話をしても誰も幸せにならないじゃないですか。そういった意味で、僕はテクノロジーの先に社会性があると考えていたんですけど、松島さんの話を聞いていると、社会性が先でテクノロジーがその後に付いてくるというイメージなのかな、と思ったんですよね。

松島 たしかにテクノロジーが人間性を規定するし、社会性を規定するし、それこそUXやUIひとつが人間の感性をコントロールするので、そこは再帰性があるのですけど、じゃあテクノロジー決定論かというとそうではなく、そのフィードバックによってテクノロジーもまた変わっていくんですよね。ただ、テクノロジーが僕らの考え方や想像力を規定している、という視点をもっていることは大切ですよね。

変わりゆく世界とテクノロジー

藤井 そんな中あえて松島さんに聞くんですけど、松島さんがテクノロジーの中で興味のある分野はどこですか?

松島 テクノロジーそのものじゃないかもしれないんですけど、それこそポストヒューマンやシンギュラリティでは、寿命が延びて人体が不死になっていくっていう話があるわけですが、現代すでに多くの人々が自分に関する膨大なデータをクラウドに残しているわけで、亡くなった後に生前残したそのデータでAIがその人らしいアルゴリズムを作り上げて、それをアバターなりロボットにしゃべらせれば、それってある意味その人の人格がずっと生き続けるということであって、そういう意味で人がパーソナリティとして死なない世界というのは、案外フィジカルな不老不死よりも先に来るんじゃないかなって思っているんです。

藤井 でも一方で、今テクノロジーや医療の発達で、長生きする人が増えているじゃないですか。日本では少子化の話が出ていますけど、全体的には人口が増えていく気がして、そこがどうなっていくのかも気になります。

松島 衣食住、とくに食は大変ですね。日本の人口は減少していますが、世界的に人口は増加中ですし、都市化が加速して食と気候変動が大きな問題になると思います。みんな昆虫とか食べるようになるんでしょうか?

藤井 私も食べ物がなくなれば昆虫を食べるしかないと思います。

松島 あとは培養肉とかを食べるしかないですよね。今までは気候変動などの環境問題は当事者意識がなかったから解決しませんでしたが、これからはそうはいきません。地球は人類のコモンズ(共有地)みたいなもので、誰かが勝手に搾取すれば人類全員が割を食うことになります。

解決するには人間のある種の共感能力が必要だと思います。昔なら部族や国単位で考えていましたが、今後は国を超えて共感が届くコミュニティ規模で考える必要がありますね。ある研究で、人間は150人から160人ぐらいの人にしか共感の幅を広げられないとされて、これをダンバー数というのですが、一方でFacebookでは平均で500人ぐらいの友達がいる。多い人なら数千人はいます。もちろんそのすべてと「友達」というわけではないでしょうが、あるい意味で現在は、共感の射程の幅を広げる壮大な実験をしている最中といえるかもしれません。

たとえば、環境問題に対して、今まで僕らはゴミ拾いをするとか限定的な対策しかできなかったのが、人間の共感の幅を広げることで、より地球規模の枠組みでそれを解決できるようになるかもしれません。

藤井 僕は、環境問題しかり社会の問題を身近に自分事のように感じてもらうことが大切だと思っていて。僕がメディアをやる目的のひとつに「テクノロジーを他人事にしない」ということがあるんです。

松島 日本も外国も、今まさに異常気象で苦しんでいますが、このままではまずいんだとさすがに切実になって来ているんではないでしょうか。

テクノロジーはどこへ向かうのか

藤井 松島さんにとって未来のテクノロジーに関するビジョンはありますか?

松島 いいシナリオから悪いシナリオまで考えられますが……。たとえばかつてコンピューターといえばメインフレームといわれる部屋いっぱいの大きさのもので、したがって政府や大企業しかもつことができず、それで何をしていたかといえば、たとえばベトナムに落とす爆弾の弾道計算なんかをしていたわけです。つまり、巨大なテクノロジーに人間が疎外され、凌駕されていました。

そういったテクノロジーをもう一度、人間の側に取り戻そうというのがPOWER TO THE PEOPLEの考えであり、パーソナルコンピューターの誕生だったのです。つまり「適正なテクノロジー」という考え方が始まりました。ところが今はまた、一私企業が一国より多くの人間の個人情報をもっていたりします。そうした人間を凌駕するシステムは、もう一度ヒューマンスケールに戻さなくてはいけないと思っています。

テクノロジーと人間の関係は、常に行きすぎたり戻ったりの連続です。僕たちが普段、めんどうくさいと感じることはテクノロジーに任せてもいいでしょう。ただ願わくは、少しずつでも人間がテクノロジーの力をうまく使うことで、人に優しくするとか思いやる気持ちをもっともつようになればいいなと思います。

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テクノロジーはあくまで手段であり、いい方向にも悪い方向にももっていける。テクノロジーで人間同士の共感や優しさが広がれば、と未来への希望を述べてくれました。

後半では、いよいよ2018年秋に再刊行された雑誌『WIRED』について切り込んでいきたいと思います。

(文:勝田竜矢、写真:三條 康貴)