2019年9月、メルカリの研究開発組織「mercari R4D(アールフォーディー)」(以下、R4D)は、社外の有識者による第三者の視点を研究開発に盛り込んでいくことを目的に「研究開発アドバイザリーボード」を設置しました。
ボードメンバーのおひとりである尹 祐根(ユン・ウグン)先生は、ロボット研究者でありながら、自らの研究技術をビジネスに変えていく起業家でもあります。
「その技術に、世の中で一番詳しいのは自分ですから。」
研究者が起業をするメリットをそう語る尹先生。今回は、なぜ今の時代研究者が起業をするべきなのか、詳しくお話を伺いました。
##ロボット研究者になった理由
ーー尹先生(以下、尹)がテクノロジーの世界に入った理由、ロボット研究者になった理由を教えてください。
尹:子供の頃から、ロボットアニメが大好きだったんです。まさにガンダム世代ですね。自律型のロボットを遠隔操作で動かしたいという思いがずっとありました。「自分で動かすことは気持ちいい」という感覚は、小学生からずっと変わっていないです。
正直、「起業家になりたい」なんて思ったこともありませんでしたね。やれるやれないに関係なく、やりたい!って気持ちでここまで来ちゃいました。
ーー尹先生が開発された、協働ロボット「CORO(コロ)※」について教えてください。
※尹先生は2007年にライフロボティクスというロボットベンチャーを設立。独自の伸縮機構を使った肘関節のない小型協働ロボット「CORO」を開発。当初は介護用ロボットとしての展開を考えていたが、収益面を理由に協働ロボットへとピボットする。後に実用化にこぎつけ、吉野家などに導入された。2018年、会社を産業用ロボット大手のファナックに売却。現在は国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)で研究者として働いている。
尹:「肘をなくしたい」という思いからコロは生まれたんです。ロボットにとって肘って実は致命的で、自分の身体の領域からはみ出るため動かそうとするとその分広い場所を必要とします。また、尖っているので危ないですよね。それならワンピースの主人公ルフィの腕みたいに伸びてくれるのが最高だよね、と。
「肘=良くないもの」という課題はロボット業界にはずっと存在していましたが、我々が初めて実用化できるレベルにまで実装できたといえます。
ーーもともとは介護用ロボットとして開発されたのですよね? のちに協働ロボットへピボットした理由を教えてください。
尹:腕が不自由な人のために、代わりに使える腕をつくりたいという思いがありました。しかし収益化が難しかったため、まったく同じ概念でまったく同じ技術が通用する他のマーケットはないかを探しました。まさにその頃、海外ではスタートアップも含めて協働ロボットが立ち上がり始めていました。日本でもその兆しを感じたため、これは日本だけでなく世界を含めて行けるんじゃないか、と。
##自分の技術を社会に出すために起業した
ーー研究者でありながら、なぜ起業を?
尹:正直、最初は何か大それた使命感があったわけではなく「自分でやるしかない」と、あまり将来のリスクを考えずに始めたというのが本音です。
もともと人間の腕というものに興味がありました。僕は、人間が文明をつくれたのは他の動物と違って手先が器用だったからだと思っていて。この器用な動きをロボットで再現できれば、人間にとって非常に有用な道具になるだろうと思いました。
ーーそして、COROが生まれたんですね。
尹:たくさんの会社にビジネスにしてほしいと売り込んだけれど、軒並みだめでした。「こんなにすばらしい技術なのに、なぜだろう…」と思いましたね。でも、誰もやらないんだったら自分でやってみよう、と起業。結果、地獄をみる羽目になったんですけど(笑)
僕が会社を立てた理由は、ビジネスがしたかったからではありません。自分の技術が社会で使われることを望んでいたからです。僕はあくまで研究者なので、自分がやるよりも他者がやったほうがその事業にとって良いという場合もあります。会社を売却したのも、それが理由です。
##研究者が事業化までコミットするべき理由
ーー研究をプロダクトや事業に昇華させ、ビジネスにするってものすごく大変なことだと思います。それでも、研究者は事業化までを見据えるべきですか?
尹:最近の若い研究者には良い傾向が出てきていますが、自分の研究を事業化するところまでコミットしていかないと、研究成果を社会に出すのは非常に難しいっていう考え方は非常に大事だと思います。
自分がやってきた研究なんだから、自分が一番よく分かっているはず。事業サイドの人たちを巻き込みながら、立ち上げから一緒にやっていかないと事業がうまくいかないので、そこまでコミットしていくのが大事かなと思います。そしてうまく軌道に乗ったら、手を引いて研究者に戻る。現代のロボティクスや情報通信系の研究者にとって一番良いキャリアサイクルだと思います。
まさに僕もこのようなキャリアを歩んでいて良いなと思うところは、次の研究をするときにすごく世界が見えるんですね。既に事業化までを経験しているので、研究の本質を捉えることができる。また、出世もしやすいし、給与も上がるし、社会的知名度も上がる。こういった個人的なインセンティブも見込めるので、このサイクルが回ればみんながハッピーになるんじゃないかなと思います。
ーー尹先生が、その道を切り開いた感はありますね。
尹:多少なりとも、貢献できていれば嬉しいです。
##研究者は、アントレプレナーである。
ーー研究者は、起業に向いているのでしょうか?
尹:僕が最近言っているのは、研究者は実はアントレプレナーに向いているんじゃないかと。研究とは、仮説検証して違えば方向転換して、ゴールまでやり遂げる。これはスタートアップも同じだと思うんです。それに、研究って未来のことだから周りに理解されづらいというか。「数年後にこういう世界をつくりたい!」って思っていても、なかなか分かってくれる人がいないというのも、起業家と同じですよね。
無いものを生んでいくことって研究者が得意とするところ。アメリカや中国の学生の多くは、「自分が培ってきた技術でどうやって起業するか」が大きなテーマで、みんながそれを必死に考えています。日本はそういったギラギラ感が少なく、ビジネスサイドの認識が薄いのでうまく回っていないのかなと感じています。とはいえ、最近は少しずつ変化が見られていて、産総研の若い研究者たちも起業に興味を持ち始めています。
ーー起業をするうえで、尹先生が最も苦労したことは?
尹:スタートアップ界隈のコミュニティと、研究者のコミュニティが断絶されていて、全く人脈がなかったことですね。もともとお金儲けに縁遠いのが研究者ですから、お金儲けのために近づいてくる悪い人たちもいたりして(笑)。そもそも誰を信用していいのかわからないという、人の見極めはすごく苦労しました。我々のようなハードウェアを取り扱う企業の資金調達ってどんな方法があるのかとか、まったくと言っていいほどよくわからない状態で。研究者にとって10年単位が当たり前でも、スタートアップビジネスにとっては長すぎたりしますから。
ーー研究者、または研究者になりたい学生で、キャリアに悩んでいる人にアドバイスをいただけますか?
尹:「自分がどういった世界を実現したくて、誰と一緒に研究したいのか」で行く先を決めれば良いのかなと思います。日本においては、企業の研究開発組織にジョインする、もしくは国や地域が運営する大学や研究所に入るなどあると思いますが、これらの一番異なる点は、時間軸だと思います。
企業における研究開発組織は、少なくとも3〜4年で実用化を意識せざるを得ず、それが叶わなければ継続的な投資が難しくなっていきます。逆に「自分はこれから様々な分野で応用ができる基礎技術を研究したい」というのであれば、もう少し長い時間をかけられる国の研究所などに所属するのが良いと思います。また、その研究所が持つ“色”があるので、自分にあったものかを見極めると良いですね。
##取材を終えて
自ら研究した技術を世に広めたいという思いから起業を決意した尹先生。「僕はあくまで研究者ですから」という言葉に、研究者としての確かな誇りを感じました。現在日本において、尹先生のようなキャリアを歩む研究者は非常に珍しく、ごくわずかです。しかし、今までもこれからも、私たちの未来を豊かなものにしてくれるのは、必ずやテクノロジーでしょう。これからたくさんの研究者がアントレプレナーとして先頭に立ち、社会を変革していく時代が来るのは間違いなさそうです。